私を判ってくれない
プロット
日本
Sep,09 2022 In Theaters
誰も守ってくれない
プロット
日本
Jan,24 2009 In Theaters
劇場版 怪獣は襲ってくれない
プロット
日本
Mar,29 In Theaters
それでもボクはやってない
プロット
日本
Jan,20 2007 In Theaters
天国は待ってくれる
プロット
日本
Feb,10 2007 In Theaters
なれのはて
プロット
日本
Dec,18 2021 In Theaters
This site is a comprehensive movie website about movie posters, trailers, film reviews, news, reviews. We provide the latest and best movies and online film reviews, business cooperation or suggestions, please email us. (Copyright © 2017 - 2020 920MI)。EMAIL
大人は判ってくれない Comments (9)
作者自身の経験が数多く投影されているのは、処女作ならではなのでしょうか。
この作品の主人公たる少年のとる、社会規範からの逸脱行為。諸々の行動の累積は、成人の目から許されざるものとして取り扱われるのも致し方なし。
衝動コントロールの欠如、注意力の散漫さは、持って生まれた気質なのか。子供に特有といえるのか、それとも、特定の子供に特異的なものなのか。
社会は、大人は、どう彼らに接していくのか。そして、子供たちは?
今日も禅問答は続く。
内容は、両親の喧嘩が絶えず、まともな愛情ももらっていない12歳の男の子の物語。ちゃんとした親の教育をもらわないまま育ったものだから、普段から素行が悪く、学校では悪童あつかいで、問題が絶えません。そして、主人公は、親から見捨てられ、特別施設に送られるという悲しいお話となっております。
わたくし自身は、この主人公ほどぐれたことはなかったのですが、それでもどういう訳か似たような部分はあるなと思いながら見てしまいました。ひょっとしたら、この映画に描かれている主人公の心情というものは、大人になるまでに誰もが抱える反抗心なのかもしれません。
なんでもお見通し的な態度をとる親や大人は、実はなにも分かっていない。子供心ながらに、こんな所で傷ついたことって誰でもあるのではないでしょうか?
あまり多くを語らず非行を繰り返していく主人公の姿から、やるせない怒りと悲しみが、うまく観る人の想像力に伝わってきます。これは親になった人たちが定期的に観るといい作品だと思います。
作品のロケになっているフランスの街(パリ?)が、モノクロの中とても活きています。主役を演じた子役の影のある横顔が素晴らしく、カッコよくさえ思う。
一度は観るといい映画です。
でも好きな映画だった。
以下ポイントを上げていく。
トリュフォー監督の自伝的映画という事らしい。
トリュフォー自身、幼少期、親は喧嘩ばかりで、勉強出来ないから学校には居場所がなくて、唯一の好きな事は映画館で映画を観ることだった。やがて鑑別所に入れられた。
トリュフォーはこの少年役の役者を使い幾つも自伝的映画を撮っている。この少年の成長に合わせ、青年の時には自分が青年だった時のことを映画に。
スピルバーグはトリュフォーの特にこの作品が大好きで、未知との遭遇ではトリュフォーを学者役でキャスティングしている。
スピルバーグの生い立ちと彼の作品を見れば、何故トリュフォーが好きなのかわかる。スピルバーグも親が不仲で、勉強できないこだった。
映画オタク映画
町山智浩氏の解説参照
主人公を演じたレオー少年に、とても少年とは思えない色気を感じた
初観の頃が懐かしい。問題多き少年時代を監督の体験と合わせて具に
観察しながら、傷付いた少年の裏側を丹念に描き出していく秀作。
トリュフォー監督による初長編作。今の時代、改めて本作を見直してもなお、その決して感傷的な描写に流されない子供たちの表現力、それを可能としたトリュフォーの演出力に圧倒される。教室で生徒全員が一つの生命体になったかのようにざわめく姿だったり、パリの街並みを闊歩する時の生き生きとした動線、遊園地の遊具に身を晒す時の子供らしい緊張と興奮が入り混じった表情など、すべてのシーンが魅力的。そのナチュラルな感情表現が観る者の目を惹きつけてやまない。
やがて更生施設を逃げ出した直後に訪れる、伝説的な海。モノクロームの映像だとその孤独さ、冷たさ、広大さがひとしおに思えるのはなぜだろうか。静止する世界で画面のこちら側を見つめる少年の表情は、我々が歳を経るごとに刻々と色を変え、鑑賞するたびにまったく違った印象を投げかけてくるかのようだ。現在進行形の姿を映像に留めているので、いつまでも色褪せない。それゆえこの映画の豊かさはいつの時代にも感動を与え続けるのだ。